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CERRO TORRE

かなりのご無沙汰でした。
もし、このブログを定期的に覗いてくださっていた方がいたら
本当にお待たせしました。
そしてまた読んで頂きありがとうございます。

2014年前半にいろいろと飛ばしすぎたのか、
7月後半から約1か月、体調を崩しておりました。
今は回復し元気になりました。

実は今年、北アルプスの槍ヶ岳に行こうと思っていました。
しかしながら直前での、まさかのダウン。。。
本当に、ぎりぎりまでねばってみましたがダメでした。。。
あのとき、人生で初めて悔し涙を流しました。
高熱で気持ちも少々昂っていたのでしょうか。
槍の穂先に立ちたかった...泣く泣く相棒に夢をたくしました。

それから回復したものの、心の奥深くに何か煮え切らない思い
というか、わだかまる思いが溜まっていました。
すっきりしない、もやもやした感じです。
仕事もして、日常生活も普通に過ごせている。
毎日穏やかで快適である。
しかし!私のなかで何かがもやもやしていたのでした。

そんな中、たまたま出逢ってしまったのです。
「クライマー パタゴニアの彼方へ」(原題:CERRO TORRE)

若きクライマー、デビッド・ラマが南米パタゴニアのセロトーレという
山に果敢にフリークライミング(クライミングで使う様々な
器具を使わず自然の造形のみを生かして登る)で挑むという
ドキュメンタリー映画です。
とにかく、ただの「自然の脅威、素晴らしさ」
を謳ったドキュメンタリーではないのです。
もちろん、セロトーレの持つ”神”的な雰囲気には思わず
この世のものとは思えない果てしない、
近づいてはいけないような気持ちにはなります。
でもこの山(岩峰といったら良いのか。。)を巡る50年間の
クライミングの歴史、そこに携わったクライマー達の物語、
そしてデビッドの挫折と成長、、、がようくわかるのです。
印象的だったのはクライマー達の私欲
(山頂に立ちたい、という気持ち)のために岩肌に
数百のボルトを打ち込み、足場にして登ることに
論争が起こります。
自然を傷つけてまで「制覇」の意味はあるのだろうか?と。
デビッドは声高に叫んではいないものの、黙々と自身の”使命”に
実直になっていきます。
それは、自分は完全にフリーで登頂すること。
3年をかけてセロトーレに挑み、挫折し、中傷され、考え、
考え抜いてシンプルになっていったのかな、と思います。
インタビュー中の彼の瞳は、澄みきっていてなんだかとても
哲学的な雰囲気でした。
外野はいろいろとうるさいですけれど、彼には彼の信念が
あってセロトーレに向き合うたびにそれは確固としたもの
になっていたのでしょうね。そしてどんどんセロトーレに
対して謙虚になっていった。

彼の登ることに対する姿勢、考え方に深く感銘したのと
同時にすごく元気をもらえました。
なんでしょう、わくわくするというか。
こんな気持ち、しばらく忘れていました。
一度っきり体調不良でトライできなかった槍への思い。
セロトーレに登頂できず、なかなかチャンスが巡って
こなかったデビッドの気持ちを重ねていた自分に気づき
ました。
彼は「何を経験するか」が大切だと言いました。
本当にその通りですね。
登れなかったにはなにか、登れなかった理由が
自分の中にあったはずです。
そして映画中、この台詞もすごく印象的でした。
ジム・ブリッドウェルという60〜70年代に活躍した
クライマーの言葉。
「希望はまやかしではかない。希望ではなく信念を持て。」

どのような規模であれ、自然と人間とが向き合い、
そして人間は謙虚な気持ちで自然のなかにおじゃますること。
自分の限界と、弱さと、本当の気持ちに向き合うこと。
自然から何かを学ぶこと。
何を経験したかを知ること。

デビッドの無邪気な、素敵な笑顔。
仲間達との思わず笑ってしまうやりとり。
固唾をのんで、身を乗り出して見守るシーンも。
ひとりのクライマーがアルピニストへと成長していく
物語が実に自然に描かれています。

清々しい気持ちで、映画館を出ました。
あらためて身体を見つめ直し、槍ヶ岳に行きたいと思えた
秋の午後でした(^ ^)

CERROTORRE website↓英語版
CERROTORRE website

クライマー パタゴニアの彼方へwebsite↓
クライマーパタゴニアの彼方へ




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