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ヴィヴィアン

今日はヴィヴィアン・マイヤーについて書こうと思います。

映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」は
ひとりの女性が生涯、世の中に対して自分の作品を発表することなく
約15万枚という膨大なネガと写真を遺していった、その足跡と
彼女の生前の様子や人柄を、関わった人々へのインタビューなどを
通して明らかにしていくドキュメンタリーです。

最大の謎は
彼女が「なぜ作品を世に出さなかった」のか。

恥ずかしいからなのか。
有名になりたいわけではなかったのか。
ただの趣味で、自分で満足していればよかったのか。。。

ヴィヴィアンがもうこの世にいない今となっては
真実を知ることはできません。
ただ、彼女の写真を見ていると、街と、街ゆく人々に対する
まなざしがやさしい。
そしていつも新鮮な驚きで街を撮っていたのだと思います。
写真からヴィヴィアンという人の、らしさが伝わってきます。

映画はインタビューした人たちのヴィヴィアンの印象について
「変人」「ミステリアス」「理解しがたい」...などと話す一方で
「過去に人には決して言えないような体験をしたのではないか」と
想像します。それを裏付けるような証言も多々、出ます。

純粋に、ヴィヴィアン・マイヤーのたどった人生にじょじょに
引き込まれていきます。
本当にリアルなミステリー、です。映画も小説もかなわないような。


ヴィヴィアンは明らかに
生身では社会に、人とのコミュニティーに交わることができなかった。
唯一、カメラを持って街に行き、ストリートの人々や風景を
写すことで社会や広い世界とつながることができたのではないかと
思うのです。ファインダーを通せば、どんな人やものとも心を通わせる
ことができる。
それが純粋に楽しくて、ワクワクする行為だったのかもしれません。
心が「通った!」と思った瞬間
びびっ!ときた瞬間
はっとした瞬間
そこに全てを注いでいるため
プリントや、その後の作業は追いつかなかった...のかも。


良い映画でした。
ビル・カニンガムとは正反対のようでいて、
二人とも似ているような印象を受けました。
写真を心から好きで、たくさん撮っている。
そして本当は心に孤独を、いくつかの闇を抱えている。

でもそれでも撮っていく。
その姿勢が、じわじわと尊敬の念を抱かせてくれます。
まだまだ写真を語るようなことは、おこがましいですが
最後はやはり写真家本人の「らしさ」が写真に出るのだな...と
あらためて実感しました。
生き様とか哲学とか美意識とか。。。
ビルさん、ヴィヴィアンさん、ありがとうございました。
私も原点に帰ってみたいと思います。


DSC_5982.jpg
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ビル

写真家の映画を続けて2本、観ました。
「ビル・カニンガム&ニューヨーク」
「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」

今日はビル・カニンガムについて書こうと思います。

ビルはつい最近6月25日に87歳でこの世を去りました。
ニューヨークタイムズ紙の専属フォトグラファーとして、NYのストリートで
個性的なファッション姿の人々を撮り続けました。

日本でいうところの、ホームセンターで2000円くらいの作業着(鮮やかなドラえもんブルー)を
まとい、肩からNikon FM2というカメラを提げ、自転車ですーっと軽やかに街を走ります。
雨合羽は安いのですぐ破れますが、テープで貼り合わせ直して使っています。
いつも、ニコニコ。
楽しそうに、サッとカメラを構えて
サッと撮ります。

私はこれこそ、私の目指す写真のかたちなのだと思いました。

ビルの写真からは、被写体の人々の息づかいや
声や体温までが鮮やかによみがえってきそうです。
刀の居合い抜きのように
一瞬ではあるけれども
相手を受け入れ、相手を愛した証拠がちゃんと写っている。

サッと撮ること、
ビルの自然体なふるまいは相手への敬意の表れなのでしょうか。
本当に粋な感じなんです。
私は被写体に「しがみついて」しまうので。。。
なにか、下心が見えてしまうような...
シンプルに、です。ビルのようにシンプルに、でもしっかりと。


「撮ることが好きで仕方ないんだ」
「きれいに着飾った女性をただ見ていることが好きなんだ」


くしゃーっと満面の笑みで話すビルを見ていると
ビルはとても幸せなんだろうな、と思います。
好きで好きで、仕方ない写真を生涯現役として撮り続けること。
その他は、あまり興味がないこと。(適当なこと)
ちゃんと自分の一番をわかっていて、
それに正直に向き合っていること。


ビルの気持ち良い笑顔に、私も背中を押された思いです。
おそれおおくもビルのカメラ。
私が最初に買った大切なカメラと同じでした。
このカメラで、私もさっそうと、ビルのように良い風を
運べるようなフォトグラファーになりたいと思いました。


0095.jpg

月山

久しぶりのブログです。

先日、月山に登ってまいりました。
半年ぶりの登山。。
山はすっかり秋の装い。
ここ最近、秋雨が続くなか週末は気持ち良く晴れてくれました。

山に登ると、なにかしら日常では感じないことを
感じさせてくれます。
今回は道、そして自分のこと。

道とは、ふだんいかに私たちが舗装された安全な道を歩けているか
ということです。
登山道は整備されているとはいえ、平らなアスファルトは存在
しません。
私は靴の不具合で、足全体に痛みを抱えながら大変な思いで下山を
しました。でこぼこした大小さまざまな形をした石の上をどんくさく
歩いていきます。というかひきずっている感じ。。。
ひざに負担がかかり、気持ちも「しんどい」のひとこと。
何度、足をくじきそうになったかわかりません。
よろけたり、しりもちをついたり、次の足はどの石に置こうか...
思考回路がまわらずにしばし躊躇した場面もありました。

そして、そんな自分には
全然余裕がない。。。なかった。。です。
人間は、眠い、おなかがすいた、などの欲求が満たされないとき
そして身体的にたいへんな疲労が積み重なったとき。
思いやりや余裕というものを忘れてしまうんですねえ。。
私もそうでした。
下山中は聞こえないくらいの声で、自分に対してなのか。
それとも山に対してなのか。他の誰かに対してなのか。身内に対してなのか。
ブツブツ、グチグチ、イライラ...
静かにわきあがる怒りをぶちまけていました。
そんな自分を醜いと思いながらも、ブーブー言い続け、しかめっつらになり、
そして黙る。。。


これは修行なのか?
月山の神様が私に与えた試練?
なんて思ってみたり。
でもそうだったみたいです。
地獄のように、足をひきずりながらやっと駐車場に着いたときには
そしてしずみゆく夕陽を見たときには
「また登ってみたいな」と思っちゃいました。
そう思ってしまう自分にもびっくりです。


アスファルトという文明のありがたさと
自分の弱さ。
そして月山の懐の深さとやさしさに気づかされた
まさに修行のような1日でした。

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